上杉省栄運営委員 東日本大震災ボランティア参加  (宮城県釜石市)

5/1は、朝の飛行機で羽田へ飛び、その後新幹線で仙台に入りました。
その後、地元の友人と知り合いの薬屋さんへ行き、当時の様子をうかがいました。
それから被害のひどかった仙台市の荒浜地区~仙台港を車の中から見てきました。

 

荒浜地区の写真。防潮林が根こそぎもぎとられて、内陸まで流されてきています

 

野蒜駅周辺の写真です。ほとんどの建物が流され、残った建物も損傷が激しい状況です。

 

仙台市荒浜地区の写真津波で流された車が、折り重なりようになっています

荒浜地区は地震直後に津波にのみ込まれる様子が、NHKの生中継映像などでも
映っていた場所です。
特に被害のひどい沿岸部は立ち入りが規制されていて入れませんでしたが、通行
できる場所でも車が折り重なっていたり、建物が流されていたりと、被害の深刻
さ、津波の力の大きさがわかります。
荒浜地区。道路の側溝が津波でえぐられている様子です。

翌5/2は友人の車で石巻市内へ送ってもらいました。

石巻市内に入ると、被害の状況はさらにひどく、多くの建物が廃墟のようになっ
ていて、道路にはうずたかく家財道具やがれきが積まれていました。

石巻市内の被災されたお宅です。海から3kmほど入った川沿いの地区ですが、人の高さ以上に津波が押し寄せています。

石巻市内の写真です。電柱が根元が折れています

市役所も被災していたため、ボランティアの集合場所は郊外の専修大学のキャン
パスでした。

私は「め組JAPAN」というボランティアチームの一環として、この日は地元
の人達に心の癒しをと言うことで企画されていた「SHEEDS OF HOP
E IN JAPAN」の準備のお手伝いで、花の種を配る準備を大学内の資材
テントでお手伝いしました。
資材テントには世界中からの支援物資が積まれていて、仕分けされ避難所などに
送られていました。

5/3は「め組JAPAN」の泥出しチームに加わり、石巻市内のお宅に伺って、津
波で流れ込んだヘドロの除去作業に加わりました。
1チーム5人づつとのことで、愛知県や岐阜県などから駆けつけた方達とチーム
を組んで、被災された方のお宅に伺いました。
こちらのお宅では床上の作業は終わり、床板がはがされていて、床下の泥だしの
ご依頼でした。6畳ほどの部屋の泥だしだったのですが、5人がかりで土嚢袋5
0袋があっという間に一杯になり、依頼者の方から補充して頂きながら、午前中
一杯でやっとヘドロの除去が完了しました。
このお宅は海岸から3kmほど離れているとのことでしたが、人の身長よりも高い
高さまで津波が押し寄せたとのことでした。

作業が一段落したところで、本部から応援要請があり、海に近い地区のアパート
に応援に加わりました。

作業が終わり、10分ほど時間があったので、向かいのお寺さんの作業の応援に
入りました。ここは地盤沈下が激しく、大潮で水が入ってくるとお堂と本道とが
行き来できなくなるとのことで、瓦礫で道を造りました。

お寺の近くの「湊小学校」のプールです。流されてきたが浮いています

   同じく石巻市内のお寺さん。海から1.5kmほど離れた地区ですが、写真左に移っている傾いた建物は、近所の2階部分が津波で引きちぎられて流されてきた物だそうです。1階部分は離れたところに流されたそうです。

 

JR野蒜駅の写真です。電柱が傾き、ホームの上に車が流されていました。

付近の建物はほぼ壊滅状態です。

 

地震から2ヶ月近く経っていましたが、まだまだ手つかずの所も多く、本当に被
害の大きさに自然の脅威を感じずにはいられませんでした。
ただ、被災地の方々はとても前向きで明るく、「必ず復興しますよ」と力強い言
葉を話されていたのが印象的でした。

戦後の日本も、今回の被災地と同じように、何もない焼け野原から復興した日本
ですから、一人一人の心の持ち方が大切なのだと言うこと。
また本当に世界中からボランティアの方が駆けつけて下さったり、また救援の手
をさしのべて下さったりしているのが、現地で実感できました。

たった2日間でしたが、大きな学びや気づきを得られた2日間でした。

                                         上杉省栄