久木田純氏講演(元国連ユニセフ職員)

3月17日と18日、私たちは大変贅沢な時間を過ごしました。17日(木)は、宮崎南高校で。1,2年生全員を対象に。

18日(金)は宮崎商業高校で、経営情報科の1年生を対象に。

元国連ユニセフ職員の久木田純氏(現在は関西学院大学客員教授)の講演をしていただくことができました。

昨年2月の事務局長会議で、久木田氏の話を聞いてから、何とでもして宮崎で講演会を開きたいと考えてきました。

先ずは多忙な久木田氏の都合を伺い、こちらで誰を対象に講演会を企画するか、悩みました。

宮崎では講演会といっても集まる人が少なくてはもったいなくて泣けてきます。そこで思いついたのが、高校生に聞いてもらうことでした。

それはそれで日程の調整が難しくて、大変なことは想像できますが、あとは当たって砕けるしかありません。

こんな時頼りになるのは、「元教師」のネットワークです。(普段はほとんど連絡を取っていなくても。)

先ず、宮崎南高校の校長先生を思い出しました。そういえば春先、高体連の会長紹介で新聞に出てたなあ。若いときに同じ学校で仕事をしたことがありました。先ずあの先生に連絡を取ってみよう!と思い、訪問のアポを取り、話は1校目からとんとん拍子にうまくいきました。

2校目は、何と言っても私が一番仕事(重労働)をしたころの学校、宮崎商業高校で受け入れてくださいました。教頭先生も校長先生も昔の同僚です。悪いイメージを与えてなくてよかったあ。

それから講師の久木田氏と高校との日程調整が始まりました。年度途中ということで、実施は気が遠くなるほど先の話になりました。6月に計画を初めて、3月まで、待って待って、ようやく実現した講演会でした。でも待った甲斐のある大変素晴らしいお話を聞くことができたと思います。

メモと録音をもとに原稿を起こし、まとめて、近いうちに、当協会の機関誌「おりいぶ」に載せますので、皆さま楽しみに待っていてください。

今回のHPは、写真で久木田氏の宮崎訪問の様子と講演の様子をお伝えします。

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講演予定の宮崎南高校では、山桜の花が迎えてくれました。

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宮崎南高校の体育館で。

18歳の時自宅浪人を体験した。その時、「自分は何のために生きているのだろう」という思いを突き詰めていって、自分は自分のためだけでなく人のために生きよう!と決める。

大学で「国連職員への道」という本に出会い、国連職員になりたいと思い、勉強して実現する。

ユニセフの職員として、モルジブ→ナミビア→東京→バングラデシュ→ニューヨーク→東ティモール→カザフスタンでの、たいへんな、時にはわくわくするようなユニセフ人生を語ってくださいました。

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タイトルは「世界のために自分でデザインする人生・国連職員という選択」

人生設計を立てるといろいろいいことがありますよ、という話もありました。

生徒からの質問「英語を勉強するのに大切なことは?」に対して、「発音と5文型が大切です」、と答えられたのには、深くうなずきました。それから「英語を話す機会を積極的に作りなさい」とも。きちんとした英語を学びたければ、このような勉強をしてください。

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夕方はいったん大淀川縁のホテルへ。この日が来るのを、首を長ーくして待っていた運営委員と。

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翌日は宮崎商業高校の多目的室にて。ほぼ同じ内容の講演でしたが、最後に生徒が「いろんな国に行かれて、どこが一番楽しかったですか?」と質問した時、「どこもそれぞれに楽しかったけど、、、、強いて一つ挙げれば、東ティモールですね。」と言われたとき、胸がじーんとしました。

東ティモールでは、武道が盛んで、部族間の喧嘩が絶えない。「ユニセフが何とかしてください。」と大統領に頼まれたそうです。それで、ユニセフ親善大使でもある香港の映画スター、ジャッキー・チェンに頼んで来てもらおうかと思った。1回目は断られ、それでも粘り強く頼み続けたら、訪問が実現した。武道のリーダーを集めて、武術を披露してもらったり、褒めたり、話し合ったり、一緒に型を演舞してみたり、いろいろなことをジャッキー・チェンは協力してくれた。そして、準備万端整えて、5000人が集まる中で、みんなで同じ型を演舞し、一体感を持ったところで、ジャッキー・チェンはいいました。「武術は鍛錬と相手を敬う気持ちと統一が大切だ。ストリートで勝ってもヒーローではない。喧嘩する人がいたら仲直りさせてほしい。そうしたら君はヒーローだ。」と。その次の週、喧嘩はゼロになったそうです。周りの政府関係者が「ユニセフすごいね。」と思った。そして仕事がとてもやり易くなったそうです。ジャッキー・チェンも、いろんなところに親善大使として出かけるけど、今回ほど楽しかったことはないと、吐露しました。

爽やかな風を残して関西へ帰って行かれた久木田氏でした。本当に贅沢な時間をありがとうございました。先生の益々のご活躍をお祈りいたします。